被災した体験談

つわり中の妊婦が西日本豪雨災害で被災した体験談~その2~

投稿日:

        

スポンサーリンク

記事下

前回の続きです。

被災する当日までの出来事はこちらをご覧ください。

関連記事

つわり中の妊婦が西日本豪雨災害で被災した体験談~その1~

 

さて、被災当日の途中までで終わってしまっていましたので、その後の出来事をまとめました。

 

被災当日のその後

さて、水とガスが使える状態で夫の実家に避難したわけですが、この時点ではラインやネットで情報を得ることは出来ていました。

 

この後、断水やネット接続が出来ない状態となった訳ですが、この時点ではライフラインは停電のみだったので、

 

「こんなものなのかな・・・?」と感じておりました。

 

子供達と離れてはいましたが、電話が通じていたので声を聞くことや、現状を伝えあうことができていたためです。

 

しかし、その後事態は一変。

 

昼過ぎには断水となり、その後電話やネット接続の制限がはじまり、「災害の時はツイッター」と覚えておいたのにツイッターさえも繋がりませんでした。

 

ただ、夫の実家付近はまだ水が出ていたことは有難かったですね。

お風呂も普通に入ることができました。

 

夜は、夫の両親に、夫の弟家族と私で真っ暗な中、ランタンや懐中電灯、ろうそくなどを灯してしのぎました。

 

夕食は何を食べたのか記憶にありません。

 

義理の弟の子供達を見ていると、自分の子供たちに会えない寂しさが込み上げてきました。

hana
いつもはどこかに行っててほしいなって思うくらいなのに変ですね。

 

また、つわりで身体もしんどいため、被災して大変なのかつわりで大変なのかわからない状況でした。

 

 

被災2日目の出来事

2日目の7月8日から本日26日まで猛暑と戦うこととなります。

 

停電になっているので、クーラーが全くきかない状況でした。

ただ、私は暑さよりもつわりの体調不良の方がきつかったです。

 

一時、夫の実家でお世話になることになるので、義理の妹に自宅に連れ帰ってもらい、冷蔵・冷凍庫の中の食糧品を全て持ち帰りました。

 

つわりであまり食事が作れなかかったため、たくさんの冷凍ものがありました。

肉・魚はそのまま持ち帰りましたが、アイスキャンディーは全て捨てました。

 

昨年から保存して忘れてた栗や、今年の春に大量に冷凍した筍など・・・色々なものが出てきましたね。

 

 

話は変わって、昨日から電話が繋がらないということで子供達の安否を心配していたのですが、なんせラインもメールも何をどうやっても繋がらない状況でなす術もなく、何度も何度も繋がらない実家へ連絡をかけていました。

 

じれったさや焦りもあったと思います。

 

義理両親は、事務所は2階だったので最大の被害は免れましたが、1階の展示室や商品や部品等が浸水してしまったので、その後片づけに出ていました。

 

夕方になり、義理両親が帰宅してから一時経った時、義理母のスマホに私の母からショートメールが入っていた事を発見しました。

 

「こんにちは。連絡がつきませんが、大丈夫でしょうか?我が家は消防団の方に避難所に連れていってもらい近くの小学校に居ます」

 

細かくは覚えておりませんが、相手の安否を伺うことと、自分たちの状況が簡単に説明されていただけでした。

 

これを見た義理母は、

「そがいな(そんな)大変なことになっとるんかね。子供達を迎えにいかないと」

 

と言い、我が家の実家までどのルートが可能なのか(周りの地区は土砂崩れがひどいため)役場に言って聞いてみることにしました。

 

すると、ちょうど夫がいました。

今日は、車であちこち回って町内から別の町や市に移動するルートを探していたようです。

 

それによると、私の実家へ行くには、まず山道を通って反対側の市に出る必要があるとのこと。

そこの市まで行けば電波が入るようなので、市役所に連絡して実家までのルートを聞くのがベストのようでした。

 

子供達会いたさに「私も行く!」と言ったのですが、一日中動きっぱなしで横になる時間もなかったので、どう見ても行けるような状態じゃないと判断されて、お留守番となりました。

 

 

子供達を隣の隣町まで迎えにいくルート

結局、普通だったら片道45分くらい往復2時間くらいのところを、夕方4時半に出発して9時半過ぎに帰宅したのでした。

hana
往復およそ5時間です。

 

その道中はこのようなものでした。まず、反対側の隣の市まで出て、そこから高速で隣町に行きます。

そこから直接実家のある町にはいけないようなので、海沿いの別の町内を抜けて実家のある町内に向かうルートのようでした。

 

しかし!!!ここで事件が発生したようです。

 

なんと、実家のある町内に入ったものの、そこの地区から街中に出ることができないとのこと( ;∀;)

 

隣の隣町まで引き返して、高速で実家のある町を通り抜けて反対側の市で降りてそこから直接実家のある町に行くルートとなってしまいました。

 

つまり、往路で引き返したりして遠回りをしてしまったため、こんなに時間がかかってしまったのでした。

 

帰りは1時間30分くらいで帰宅することができました。

 

子供達は寝入ってしまっており、そのまま布団に直行でしたが、とても安心しました。

 

お義父さん、お義母さんにはほんとに有難うの気持ちでいっぱいでした。

 

この日から、義理の弟一家はお嫁さんの実家へと疎開していきました。お嫁さんの実家は電気も水も出るようなので不自由ないようです。

 

 

幼稚園が始まるまでの状況

当たり前ですが、このような状況で幼稚園はありません。

保育園なんて、屋根まで浸水してしまった状態です。

 

この日から子供達との長い1日が始まりました。

といっても、昼から私は体調不良のため、子供達放って寝込んでました。

 

確か、この日からここの地区でも断水になりました。

しかし、有難い事に電気が復旧したのもこの時期だったと思います。

それで電話やネットも問題なく見られるようになりました。

 

すると、友人、知人、仕事関係の人からたくさんのラインが次々に送られてきました。

 

溜まっているラインのそれら一つ一つに返信をすることもかなり大変な作業でした。

 

飲み水等の飲み物は物資がたくさん届いており不足はしておりませんでしたが、お風呂やトイレ等の生活用水が絶対的に不足していました。

 

ただ、この近辺では、農業用の水として利用されている近くのキレイな川があるようです。

その川の水を農家の人に借りた大型タンクに入れてお風呂やトイレ、食器洗い用の水としました。

 

ですので、有難いことにこんな状況でも暖かいお風呂に入ることができました。

 

ただ、やはり底の方に泥が少し溜まってはいましたが、贅沢は言えません。

水があること自体が有難いことなのです。

 

そして、次の日はそのお風呂のお湯を使って子供達を水浴びや水鉄砲などの水遊びをさせてあげることもできました。

 

一番大変だったのはトイレのタンクに水を供給することです。

 

今まで気づきませんでしたが、1トイレを流す度にタンク内のほとんどの水はなくなってしまいます。

 

ですので、トイレを流す度にタンク内にバケツで水を補給しなければいけません。

これがまた大変な作業なので、申し訳ないけど子供達は外でおしっこをしてもらってました。

 

また、大人も小の方だけだと1回では流さないようにしてました。

 

ただ、後ほど義理父の計らいで、お風呂から自動で水をトイレに補給できるようにしてもらうことができました。

 

つわり中の私にとっては何から何までお世話になっていたので、せめて洗濯物たたみと夕食づくりはやっておりました。

 

それでも、生活がガラっとかわり、慣れないところでの生活は結構ストレスが溜まっていたのも事実です。

 

車がすぐに用意できないし、近所の施設も浸水していたので、仕事は全てキャンセルに・・・

 

いろんなストレスが度重なっていました。

 

 

幼稚園が始まってから帰宅するまで

1週間幼稚園がお休みだったのですが、次の月曜日から金曜日までは11時半降園で幼稚園が始まりました。

 

11時半って・・・すぐに帰らないといけないじゃん・・・

 

と思い、幼稚園に行く事を躊躇していたのですが、義理母が「ちょっとでもいいから行きなさい、車は置いておくから」と言われたので、朝子供達を幼稚園に連れていき、迎えに行く間は家の掃除や食料品を買い足してすぐに帰宅できる準備を始めることにしました。

 

そういえば、母子手帳もまだもらっていません。

母子手帳をもらってから妊婦検診にもいかなければいけません。

 

体調不良ながらやる事はいっぱいあります。

 

我が家の周りは汚泥がすごく、まだ匂いがとれていませんでした。

丁度その頃は、家の中の家財道具などを破棄した後で、消毒をお願いしていたところが多かったです。

 

感染症を起こさないよう、窓は開けずに閉め切ってクーラーを入れてました。

 

それから何日か経つと、ようやく水も出るようになりましたが、まだカルキが多いのか真っ白になるので、ペットボトルの物資を取りに行っては何ケースも運びました。

 

掃除をする前に、この物資の持ち運びでヘトヘトになる始末でした。

 

1週間ほどかけて家の中をゴソゴソ片付けしてすぐに住めるように極力がんばりました。

というのも、6月中はつわりがひどすぎて家事どころではありませんでしたので、洗濯物は山のようで、子供達の散乱したおもちゃも放っておいたのです。

 

とりあえずそれらを片付けて、連日スーパーに通い、冷蔵庫に食料品を買い足していきました。

 

 

その後、子供達を幼稚園に迎えに行くのですが、すぐに帰ろうとしないので暑さからイライラ・・・

幼稚園の駐車場も停めることができないので、となりのグラウンドを利用しなければいけません。

一方通行になっているので、遠回りしなければいけません。

 

夫の実家に帰ってご飯を食べさせようとしてもなかなか進まなく、更にイライラ・・・

 

午前中の疲れからの子供達へのイライラから、やっぱり昼からは動けなくなり寝入ってました。

 

そしてその週の土曜日に新しい軽自動車が届いたことにより、土曜日の晩に家族みんなで帰宅することができました。

 

それからは、丁度子供達も夏休みに入り、ちょこちょこ幼稚園を利用しながらやってます。

 

 

まとめ

西日本豪雨災害の体験談をまとめてみましたが、一部の出来事であり、あくまでこれは私の視点になります。

 

このような体調の時に被災し、主に家にいることができたので、全てを伝えきれてはいません。

 

夫は、先週の途中まで休みもなく、夜に帰宅した後でパトロールで夜中出ていくのが連日でした。

 

みなこの猛暑の中で休みもないまま働き続けていたかと思うと頭の下がる思いです。

 

ただただ、熱中症等の不調には気を付けてほしいと願うばかりです。

 

凄まじい写真はたくさんあるのですが、場所が特定できてしまうのと、人の家を映しているので個人情報の漏洩かな・・・と思い載せておりません。

 

特定できる家が載っていないところは今後載せるかもしれません。

 

まだ、混とんとしている中での投稿なのですが、あまりに時間が経ちすぎると忘れてしまいそうなので、記事にしました。

 

はっきり言って記憶が曖昧なので、時系列とか少し違ってるかもしれませんが、大体はこんなかんじでした。

 

困りごとはたくさんあるのですが、今でもまだ避難所で暮らしていらっしゃる方もいるので、贅沢は言えません。

暮らせる家と食べ物・飲料があるだけで良し!としなければいけませんね。

 

あとは、家族みんなが元気でいること・・・これが一番大切だと実感しました。

 

しかし、この体調の中、元気すぎる子供達を見るのはツライ・・・

別の意味で誰か助けてほしいと思ってしまう今日この頃です。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

記事下

記事下

RSS紹介文

↓ブログの更新を教えてくれます。ポチっとどうぞ★

あなたへのおすすめ記事

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
hana

HANA

2人の子持ち主婦のhanaです。 年齢:30代前半(ギリギリ) 住んでいる場所:西日本の山に囲まれた田舎 資産運用の勉強をしながら子供の教育費と老後の貯金を貯めようと奮闘中です。 節約は苦手ですが、ポイントを使ってお得に買い物をする方法などをご紹介しています。 また、長男に発達障害の疑いを持っていますので、子育てについても綴っております。

-被災した体験談

Copyright© なないろLife , 2018 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.